かつて沼地だったという池袋駅周辺を源流とする二つの川「弦巻川」と「水窪川」の暗渠をたどって川の名残を探すポタリング
池袋駅周辺を源流とする弦巻川と水窪川の暗渠を探検。川の流れの痕跡を探す旅!
走行日 | 2010年6月 5日(晴) |
走行距離 | 10 km |
使用した愛車 | HANDY BIKE |
コース概要 | JR池袋駅西口→メトロポリタンホテル→元池袋史跡公園→弦巻川暗渠→花のはし→大鳥神社参道→鬼子母神堂→大鳥神社→木村橋石碑→菊池寛住居跡→旧流路の井戸→首都高5号線高架下→今宮神社→鳩山会館→吹上稲荷神社参道→くねる小径→ラムネ工場跡→巣鴨プリズン排水口→日ノ出町公園→美久仁小路→ちゃぶ屋(昼食) |
「池袋」という地名を聞いて、"池で袋なんて、いかにも川っぽいじゃないか"とか考えるようになってしまったら川マニアとしてはかなり重傷です(笑) 今となってはその面影は全くありませんが、地名が示すとおりかつてこの付近には「丸池(池袋の地名の元になったと言われています」という池があり、それを源流として弦巻川という川が流れていました。 というわけで今日も都内に出てきたついでに暗渠探訪です♪資料はもちろん「東京ぶらり暗渠探検」 |
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弦巻川の源流だったという丸池は池袋駅西側にあるメトロポリタンホテルの辺りにあったそうです。この辺りは今でも地下水が豊富で、隣の東京芸術劇場の地下では大量の湧水をポンプで排出しているそうです | メトロポリタンホテルの向かい側の角には「元池袋史跡公園」があり、かつてこの辺りにはたくさんの池があり、それが池袋の地名となったと書かれています | 丸池を出た弦巻川はビル街を突き抜ける形で南東に流れ、池袋びっくりガードの通りを横切った後、JRの線路に沿うように南へ流れて行きます |
先に書いたとおり、弦巻川は現在の池袋駅西口にあった丸池を源流として雑司ヶ谷の谷を流れた後、護国寺の参道である音羽通りの西側を流れて神田川へ流れていました。暗渠化されれたのは昭和10年頃とかなり早いため当時の面影はほとんど見ることができませんが、かつては周囲の崖からの豊富な湧水を集める澄んだ流れだったそうです。 びっくりガードを越えるとJRの線路に沿って川の跡っぽいなぁと思われる緩やかにカーブを描く道がいくつか続いています。流れの痕跡は全くないので正確なところは分からないのですがそのうちの一つを南へ進みます。と、これはまた・・・、なんというか「昭和」な家並みが現れました。ここホントに池袋駅から1kmくらいのところなんだろうかと(笑) |
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住宅街を抜けると流れはJR及び西武線の線路と交差しますが、痕跡は全くなくてどこを流れていたのかは分かりません。とりあえず、西武&JRが交差するところに掛かる歩道橋「花のはし」を渡ってJRの東側へ。 | 歩道橋を降りるとUR目白単身住宅の前に河川跡っぽいカーブの道があり、これが弦巻川の流れです。 | 流れに沿って進むと北側にもう一段低い土地があり、こちらも河川跡っぽい雰囲気が・・・ |
地形的に見るとこちらの方が低いし微妙のカーブを描く狭い路地はいかにも暗渠っぽいのですが、地図で見ると最初の道が目白2丁目と南池袋1丁目の境界になっていて、そういう意味ではやはり最初の道が弦巻川の暗渠な気がします。 | ||
引き続き怪しい低地の路地を進みます。公明党と共産党のポスターがアチコチに貼られているのが印象的w | 道なりに進むと明治通りにぶつかります。弦巻川の流れはオリナスふくろうの杜(旧雑司が谷小学校)の南側にある大鳥神社の参道となっています。 | 参道をしばらく進むと右手に立派なお堂が見えたので寄り道してみたら子育てで有名な鬼子母神堂でした。 |
再び大鳥神社の参道に戻ります。 流れは東京音楽大学100周年記念本館と第二校舎の間を抜けて、都電荒川線鬼子母神駅の北側で大鳥神社へとたどり着きます。 |
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東京音楽大学の間を抜ける弦巻川。緩やかに描くカーブが暗渠っぽい? | 都電荒川線の線路の手前にひっそりと建っているのが大鳥神社 | 境内には弦巻川を暗渠化した歴史を刻んだ石碑があり、水質悪化により伝染病が蔓延するのを防ぐため暗渠化したと書かれています。 |
弦巻川の流れは都電荒川線と交差してそのまま弦巻通りに沿って南東に向かうかに思われますが、資料である「東京ぶらり暗渠探検」によると、流路はここで弦巻通りを離れて北側にある清立院の方へ向かっていたようです。 この流路は現在残されていないので定かではないのですが、清立院の南側に弦巻川に掛かっていた石橋「木村橋」の由来を示す石柱が残っています。 |
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のんびりと走る都電荒川線。この電車が出来たのはちょうど弦巻川が暗渠化されたのと同じ頃 | 清立院の南側に立つ石碑には木村橋という名前の由来として出資者の名前が書かれています | 流れの左右には急な坂が続いていて、この場所が川底であったことを再認識 |
流れは再び弦巻通り沿いに戻ります。 そのまましばらく進むと商店街になるのですが、この雰囲気がレトロ、というか、ここホントに東京のそれも山手線の内側か!?という・・・ |
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この家並み・・・。とても東京都心の風景とは思えない。他にも今にも崩れそうな古い木造住宅とか・・・ | 川沿いでおなじみの銭湯も発見! | 小説家で文藝春秋社を創設した菊池寛が晩年を過ごした住居跡は、真新しいマンションとなっていました |
ここまでほぼ弦巻通り沿いに流れてきた(というか、流れに沿って弦巻通りが出来たかな)弦巻川ですが、首都高5号線手前の雑司ヶ谷1丁目付近の流路はかなり蛇行を繰り返していたようです。 この旧流路は今でも一部が残されており、裏路地的でとっても楽しげ♪ |
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大きな釜で蓋された井戸。なんとくみ上げなくても自噴しているそうで、地下水が豊富であることが伺えます。 | そして旧流路に沿った狭い裏路地。周囲のお宅も趣深いのがチラホラ。 | 路地を抜けると首都高5号線の大きな高架が空を覆い尽くしています。 |
ここから先の弦巻川は首都高5号線の高架下に沿うように流れています。 もともとは不忍通りに沿う形で東に流れて護国寺前で水窪川へと合流していたものを、護国寺の参道(現在の音羽通り)を建設する際に流れを谷の東西に分け、、音羽の谷の西側に弦巻川、東側に水窪川という形にしたといわれています。 |
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護国寺西交差点からそのまま高架下を進めるかと思ったのですが、講談社が道を塞いでいるため一旦迂回 | 大塚署のところから再び高架下へ。この場所は明らかに音羽通りよりも高く川の流れとしては不自然なんだけど、付け替え工事によるものか? | そのまま高架下を進むと一段低いところに怪しい側道が登場!どうやら現在の高架下の道は盛り土によって高くなっているようです。 |
流れは高架下に続いていたようで、ところどころでその跡を見ることができます。 | ||
高架下の擁壁とマンションの間に怪しい隙間が!これが暗渠化された弦巻川の流路らしい | 高架下を進んで江戸川橋の手前(音羽1丁目付近)でこんな薄いビルを見つけました。ここで弦巻川は高架下を離れて東へと流れていきます。 | 流路がイマイチ定かではないのですが目白坂下南交差点付近で目白通りと交差して神田上水跡の道付近で水窪川に合流していたようです。 |
これで弦巻川の旅は終了~。 |
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まずは神田川との合流地点をと思ったのですが、現在はもう少し下流側で合流しており、この付近では合流点の跡は残されていませんでした。 | 水窪川を走り始めていきなり現れる切り立った崖。音羽1丁目と小日向2丁目の間にはもの凄い高低差があり、水窪川はこの崖下に沿うように流れていたみたいです。 | そのまま進むと左手に今宮神社があります。神社前の道に石が埋められているのですが、これは水窪川に掛かっていた石橋なんだそうです。 |
水窪川の流路は音羽通りの東側に続く裏路地となっています。 これが狭くて暗くてビルの裏手のうらぶれた感じが素敵な道なのですが途中一部が切れてしまい、雰囲気を満喫しきることが出来ません。その理由は・・・ |
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裏路地の雰囲気を楽しんでいたのに途中で行き止まりに!一旦、音羽通りへ戻って迂回します。 | 迂回したら行き止まりの理由は、今話題の鳩山会館ではないですか!まったく。 | 鳩山会館の北側で再び流路跡である裏路地へ。擁壁からは無数の排水管が出ていて湧水が豊富であることが伺えます |
裏路地をさらに上流へ進むと東側に筑波大学付属中&お茶の水女子大学があるはず・・・、なんですが、この二つは台地の上にあるので水窪川の流路からはさっぱり見えません。 資料によると、流れはお茶の水女子大学の北端に沿う形で曲がっていたみたいなのですが、一旦流れを見失ってしまい不忍通りに出てしまいました。少々失敗~ |
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水窪川の流れは護国寺の東側で不忍通りと交差しています。ここは年末の富士見坂巡りで富士山か見ることができた数少ない場所の一つだったりします。 | 護国寺・豊島岡墓地の敷地の東側にあるこの路地が水窪川の流路跡。台地に縁に沿うように流れていたのが分かります。 | 住宅街の中の狭い路地を進むと「防災協定井戸」と書かれた井戸を発見!東京のど真ん中で手動ポンプの井戸を見るとは!! |
井戸を発見して結構ビックリしていたのですが、よく考えると弦巻川沿いにもいくつかあったし、ここから先の水窪川沿いにも井戸が点在しています。こういうところからも東京の懐の深さを感じ、東京の裏道探検が他の町よりも圧倒的に楽しげな理由を実感します。 | ||
住宅街を抜け吹上稲荷神社の参道のところで坂下通りにでます。 | 坂下通りを200mほど北上すると↑な感じに二股に分かれていて、写真右側の道が水窪川だったところになります。 | 道沿いのお宅を見るとこんな風に嵩上げされていることがチラホラ。水害対策かなぁ? |
かつての水窪川といっても暗渠化されて70年以上経っているとその面影は全くといっていいほど残されてないもんだね~。と思いながら一般道を進んで行くと新大塚駅へ向かう坂道と分岐する場所にたどり着きました。 水窪川の流路はもちろん坂の下へ続いているのですが、この先の流路が面白い!おそらく高低差が少なく流路が蛇行していた場所だと思うのですが、普通に道を造ったのではあり得ないほど狭くてグニャグニャとくねるような路地が続いてるんですよ~ |
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住宅街の隙間を縫ってくねるような形で小径が続いています。右手には小さな公園がありここにも手動の井戸が設置されていました。 | なんとなく流れに沿って進むと再び坂下通りと交差。その向こう側にはかつてラムネ工場があったという石垣が残されていました | そして路地沿いの民家の庭先にも手動ポンプの井戸が! |
ここから先はこれぞ「東京の暗渠」というのにふさわしい、民家の軒先をかすめるように細かい路地が続きます。 小さい頃に近所の路地を探検したことが思い出されるような楽しげな場所~ |
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南側の高台から水窪川の流路に降りる階段。民家とビルの間を細かく進む隙間感が堪らない(笑) | ここは私有地では無かろうか?と思ってしまいますが、心配無用、水窪川です | 東京ぶらり暗渠探検でミョウガ畑と紹介されていた場所。低層の住宅街の中にポツンと畑があるんですが、サンシャインまで1kmくらいなんですよ |
小径に従ってなんとなく進んで行くと暗渠をたどれるのですが、都電荒川線手前で再び流路を見失ってしまいました。 |
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巣鴨プリズンから水窪川への排水口があったとされる場所。石組みの排水口が今でも残されています。 | そのまま暗渠をたどっていくと東池袋4丁目付近(区立中央図書館の北側)で大きな通りに出て暗渠の痕跡が終了。上流からたどる場合は大門ホルモン脇の小径が暗渠となります。 | かつて水窪川が流れていたと思われる場所にはUR都市再生機構が巨大なマンションを建設中です。 |
さすがにここまで池袋駅に近づくと再開発が激しく、暗渠跡は全くといっていいほど残されていません。 だいたいの流れとしてはサンシャインシティ南側の裏道付近を流れて豊島岡女子学園の北側を通って美久仁小路付近が源流であったという感じなので、出来るだけ近い形で走ってみましょう。 |
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先ほどの都市再生機構の工事現場の反対側、日ノ出町公園北側の道辺りを流れていたようです。 | 豊島岡女子学園北側。本来の流路はもうちょっと北らしいけど残念ながら道がありません。 | そして源流と言われる美久仁小路付近。写真中央付近が微妙に窪んでいるのが分かるでしょうか? |
というわけで、かつては湿地帯であった池袋周辺を源流とする二つの川「弦巻川」と「水窪川」の暗渠探訪は終了です~ 距離も10kmくらいだから1日かければ歩いてでも回れちゃいますよ♪ |
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最後に池袋駅前で昼食をw お店探してこなかったんですが、ミシュランに掲載されたというラーメン店「ちゃぶ屋」を発見して入ってみました。 |
ちゃぶ屋とんこつらぁ麺:700円 豚骨ラーメンに焦がしたネギを浮かべるという斬新なラーメン。豚骨臭さは全くなくさわやかな味付け~ |
最後に池袋駅。今日走った風景とすぐ近所とは思えないほど人が多くて賑やかな街。さて、午後は別の用事に行かねば。 |
うーん、あの道は川だったのかぁ…、言われて見みばあそこは確かに川だよなぁ…
こんな私の詳しい所を走るのなら声を掛けてくださいよ~
>takuさん
すいません~
最近、週末に都内で予定があることが多くて、その前のちょっとした時間でちょこちょこ走ってるので、皆さんには声をかけづらくて・・・
それにしても、今回のルートはかなりマニアックですよ!
レポートを見て場所が想像できるとはかなり詳しいですね~
HANDYだね~♪
こんな所走るには、はずかしさをガマンできればもってこいだね。
一人でよく耐えたね。
誘ってくれれば・・・二人じゃもっとはずかしいね(笑)
>栗さん
慣れましたw
子供に指さされたり、女子高生に笑われたり・・・
おっさん二人がHANDYで街中をぶらついてる姿を想像したら・・・
非自転車ですが、参加している「地図の旅愛好会」(=旧版地図系)で、4/1に弦巻川周辺を散策しました。
ブログを書くために調べていると、見慣れたサイトがGoogleの上位に検索されびっくりです。
参考にさせていただきました。
http://tizunotabi.blogspot.jp/
>サイクルツーリズムさん
何というマニアック且つ魅力的な会!
日本にいたら僕も参加したかった・・・