日本三大怨霊の一人「平将門」ゆかりのスポットが北斗七星の形に並んで結界となっているという面白い話を聞いたので走ってみた
走行日 | 2009年9月 6日(晴) |
走行距離 | 24 km |
使用した愛車 | ルノー(RENAULT) AL-FDB14 |
コース概要 | JR新宿駅→鎧神社→百人町→水稲荷神社→甘泉園公園→瓢箪坂→筑土八幡神社→お茶の水→神田明神→ニコライ堂→二代目つじ田→将門の首塚→日本銀行→日本橋→兜神社→浅草橋→鳥越神社→秋葉原→銀座 |
日本三大怨霊と言えば「崇徳上皇」「菅原道真」「平将門」の3人。 天慶の乱で敗れた平将門の首は京都の三条河原で晒されますが、残された胴体を求めて首が一夜のうちに坂東の地まで飛んで来たという伝説があり、その首を葬ったとされる場所が「将門の首塚」。 この「将門の首塚」では数々の祟りが起こったといわれ、関東大震災後に大蔵省が仮庁舎を建てた際に首塚をぞんざいにした祟りで時の大蔵大臣以下関係者十名が次々と急死したとか、GHQが首塚を撤去しようとしたが、ブルドーザーが横転し死傷者が出るなど怪奇現象が続発して撤去を断念したという話がたくさんあったりします。怖いですね~。 あ、ちなみに日本の大手銀行で最初の破産認定を受けた「日本長期信用銀行」は、かつて首塚のすぐ脇にあったりしました。これも呪いでしょうか(怖) さて、なぜに突然こんなことを言い出したのかというと、先日何気なくテレビを見ていたら「山手線は平将門の怨霊を封じるための鉄の結界である」というおもしろ理論が紹介されていたからなのです。 その番組が言うには・・・ 山手線はこの北斗七星を分断する形で路線が敷かれており、将門の首と胴を(霊力を遮断する)鉄の輪で分断することで将門の怨霊の力を弱めているのだ!的な内容だったかと(笑) ほっほう。そりゃ面白いね~ ちなみに僕は神社自体は好きですが、神様とか霊とかにはあまり興味がない人なので、レポート中に間違いを見つけたときはコメント欄で優しく指摘してあげてください(笑) |
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旅のスタートはJR新宿駅。日本一カオスな街である新宿は現在の東京を象徴する街ともいえますが、平将門はこの街をどう思っているのでしょうか? | せっかくなので北斗七星に近いルートを走りたい!というわけで、今回はnuvi205の距離優先モードナビに従って走ります。 | 新宿駅から小滝橋通りを来た新宿方面へ向かい、一つ目の神社である鎧神社を目指します。 |
今日は午後から銀座で用事があるので、新宿スタートで北斗七星のひしゃく型の柄の部分からからまわることにしました。 |
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鎧神社の縁起によると、日本武命が御東征の際に甲冑六具を埋めたことに由来しているとのこと。 | 鎧神社はそれほど大きな神社ではないですが、境内は綺麗に掃除されており大事にされているのがよく分かります。 | 本殿の隣には小さな祠も建っていました。 |
続いて向かうのは「水稲荷神社」。 山手線で切られ、調伏神社を置かれ、将門さんも大変だ(笑) 先の山手線結界の話で紹介したとおり、一つ目の鎧神社と二つ目の水稲荷神社の間には山手線が走っており北斗七星が分断される形となっています(現在は中央線でも切られてる) |
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江戸の街の警護を担当する鉄砲隊「百人組」の屋敷があったことに由来する百人町付近を走って山手線のガードをくぐります。 | 明治通りを北上していくと途中で鮮やかな朱色の門柱を発見。学習院の旧正門で川口の鋳物工場で作られた物だそうです。 | 西早稲田近辺は細かいアップダウンが連続する細い路地。探検心をくすぐられます♪ |
水稲荷神社はひしゃくの柄の2番目(星の名前で言うとミザール)の神社 |
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こちらが入り口。 広々とした境内です。また、このすぐ脇には徳川家の茶室「聴松亭」があったりもします。 |
現在の本殿。 もともとは早稲田大学九号館のあたりにあったそうです。 |
境内には、この付近の地名(戸塚)の由来となった「富塚古墳」もありました。 |
続いて3つめの筑土八幡神社へ向かいます。 筑土八幡神社は、水稲荷神社から東南東方向にあるので、早稲田通りを真っ直ぐ東に行けば到着です。 |
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甘泉園公園。ここで湧き出る湧水を使ったお茶が評判だったそうですが、現在は湧き水は涸れておりポンプで水を回しているようです。 | 早稲田通りには学生向けのB級なお店とか古本屋とかが並んでいます。写真はどっかで聞いたような名前の中華料理店(笑) | 神楽坂付近でナビが裏道に案内するので行ってみたら「瓢箪坂」なる看板がありました。坂の途中がヒョウタンのように括れているからだとか |
早稲田通りをそのまままっすぐ行くと首都高5号線のちょっと手前辺りに筑土八幡神社がありました。 筑土八幡神社は北斗七星のひしゃく部分最後の神社(星の名前で言うとアリオト)で、平将門の首を祭る神社・・・ もともとこの地には、筑土八幡神社と津久戸明神の二つの神社が並んでいました。 |
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筑土八幡神社は長い階段を上った丘の上に建っていました。途中にある鳥居も由緒ある品だそうですよ。 | こちらが本殿~ どうりで将門の「ま」の字も出てこないと思ったら、まさか移転済みとは。 |
境内にあった人と人?が何かをしている不思議な碑。何となく興味をそそられる~ |
本来であれば、移転先の筑土神社(九段下)にも寄っていきたいところですが、事前調査不足で知らなかったので、今日は次の神田明神へと向かいました。 筑土八幡神社から神田明神へは、外堀通りを真っ直ぐ走れば到着です~ |
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飯田橋駅前で神田川を渡りつつ覗き込むと、なんだかおしゃれな形状の排水口がありました。なんだこれ~? | お茶の水坂。かつてここにあった湧き水を「お茶の水」として将軍に献上したことが地名の由来となったそうです | ナビの導きに従ってきたらなぜかこんな階段を上るハメに・・・ |
御茶ノ水駅の近くで外堀通りを離れ1本北側の本郷通りを走れば神田明神に到着・・・ この地形を見せてくれるとはなんて親切なんだ、nuvi205(笑) さて、神田明神 神田明神は、もともと平将門の首を埋葬したという「将門の首塚」付近にあったのですが江戸城増築に伴い現在地に遷座。その後、明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはいかんだろうということで一旦祭神から外されてしまいますが、昭和59年に見事に返り咲き、現在は平将門を祭る神社となっています。 ちなみに昭和59年の復活はNHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」の影響だとか(笑) |
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鮮やかな朱色の「隨神門」 二層目には平将門公の家紋「繋馬」の彫刻が飾られています |
国の文化財にも登録されている社殿。隣には神田明神資料館があり、何かありそうだったのですが今回はパス。 | 社殿裏手にはいくつかの小さな陣社が合社されていました。 |
日本三大怨霊といわれる平将門が江戸の総鎮守であったというのはなんだか面白いですね。 なんだか今も昔も、人間がやることって変わらんなぁ・・・ そんなことをしみじみ感じながら将門ゆかりの神社巡り後半戦です。後半戦で最初に向かうのは、東京における将門伝説の中心地ともいえる「将門の首塚」です。 |
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湯島聖堂の脇を通り聖橋で神田川を渡ります。地下鉄丸ノ内線が一瞬だけ地上に姿を現す形になっており、かなり深い谷であることが分かります。 | 日本初&最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築といわれるニコライ堂前を通過~ | で、お腹が空いたので途中にある有名ラーメン店「二代目つじ田」で昼食。相変わらず旨い♪ |
最初にも書きましたが、天慶の乱で敗れた平将門の首は京都の三条河原で晒し首にされてしまいました。 この首塚「東京都千代田区大手町1-2-1」という東京のど真ん中な住所で、北斗七星では器の底の部分(星の名前で言うとフェクダ)にあたります。 |
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丸の内のオフィス街の一角にやけに静かな場所があります。他の神社と違って将門ファン?がたくさんお参りに来ていたのが印象的でした。 | 「周囲のビルにはこちら向きに窓がない」という噂がありますが、これは都市伝説で実際には普通に窓がありました。 | |
平将門怨霊ツアーも残すところあと2カ所。 |
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休日の丸の内のオフィス街はとても静か~。それにしてもこれだけのビル群の中に首塚が現存しているというのはある意味ビックリですね! | さらに進んで日本銀行前を通過。ところで日本銀行は、上から見ると「円」の形になっているというプチトリビア♪ | さらに日本の道の原点日本橋。北斗七星ルートにはかなり重要スポットが並んでいるんですね~ |
首都高速江戸橋ジャンクションに直下、東京証券取引所の向かい側に「兜神社」があります。 兜神社は、将門の兜を埋めたとされる場所で、北斗七星では器の部分(星の名前で言うとメラク)にあたります。 |
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休日ということでガランとしていますが、日本経済の中心とも言うべき証券街「兜町」の片隅に兜神社は建っていました。 | 「兜町」 の町名は「平将門の首を打った藤原秀郷がその首を京都へ運ぶ際、平将門の打首に添えていた兜を土中に埋め塚を作って供養した」という伝説に由来しています。 | こちらが社殿。 写真を取り忘れましたが社殿の向かい側に「兜石」と名付けられた大きな岩があります。 |
平将門怨霊ツアー最後の神社は「鳥越神社」です。 |
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江戸川橋の脇にある三菱倉庫は昭和5年の竣工で石造りの外壁がおしゃれ~ | 小伝馬町付近のビルの隙間に水路跡と思われる小径を発見。南北に結構続いているみたい。 | 浅草橋を渡り、JR浅草橋界隈の雑多な風景を眺めつつ北へ向かうともうすぐ鳥越神社です |
鳥越神社は、北斗七星の先端部分(星の名前で言うとドゥーベ)に当たる神社で、将門の首が京都から飛んでくる際にこの上を飛び越していったという伝説が残されています。 しかし、もし首が飛んできたとすれば飛び越した場所は無数に存在するわけで、なぜ鳥越神社との縁を強調するのかイマイチ分かりません。一部のサイトによると将門の手を奉っているという話も書かれているのですがイマイチはっきりしないんですよね~ ま、小さいことを気にしてはいけません(笑) |
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かつては約2万坪の広大な敷地だったそうですが、徳川幕府に土地の大半を取り上げられ今はこぢんまりとした神社になっています。 | こちらが本殿 平将門と関係が深い七曜紋を紋としているらしいです |
近所の「おかず横町」は休日のせいなのか閉店している店が多く寂しげな商店街でした。 |
というわけで、平将門怨霊ツアーもこれにて完結! |
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少々時間が余ったのでY's Roadに寄り道。nuvi205用にアークスパンを購入しましたよ | 新宿が西のカオスなら東のカオスは秋葉原ですよね。今日もメイドさんがたくさんいましたよw | 銀座は歩行者天国中でしたがあまりの快晴に日向にいる人はまばらでした。 |
首塚の写真撮れたんですね・・・
色々言われているところだから、てっきり・・・(笑)
>羽ぴょんさん
ツーレポのためなら呪いも何のその、ですよ(笑)
inaさん お久しぶりです(^^)
怖いもの好きの私です♪
タイトルに惹かれて楽しく読みました(どこまで頭に入ってるかは。。。)
「風と雲と虹と」も懐かしいです。
どんなストーリーだったか?と聞かれれば、これまた覚えてないんだけど、子供のころに大河ドラマって面白い!!と思ったことだけは、覚えてるんですよね。
よい天気でしたね。平将門といえば、神田明神と成田山ですよね。なんでも神田明神の氏子は平将門を抑えている成田山には行かないとかなんとか。本当なんでしょうか?(QED~ventus~御霊将門という本にありました)。というわけで今度は成田山ですかね。
「将門の首塚」って自宅近くのお寺にもありますよ! ま、これってあちこちに在るようですね。
説としては面白いんですけど、
苦しいなぁーって思ってますW
立地条件が重なっただけでしょうね~
新田源氏の資格で幕府を開いているのに、
平氏を神格化する謂われはないだろうって感じです。
江戸防衛線の方便、軍事的理由と解釈してます。
寺社仏閣は有事の際の出城や砦ですし、
寛永寺や増上寺も程近い・・・
一国一城制を引いた手前、自分の所だけ小城だらけって、
訳にはいかなかったのでしょう。たぶん・・・
何だか『帝都大戦(帝都物語)』を思い出しました~
あれも平将門の怨霊の話なんですよね。
東京の町自体が土御門やら安陪清明やらその道の名前がズラズラと。
荒俣宏の小説デビュー作でもあるんですよね。
いや、何となく思い出したんですよ、ホント(^^;
>さふらんさん
怖い物好きなら江戸刑場ツアーなどもおすすめかも。
それぞれちょっと離れてるので距離的には走ることになりますが、ぞくっと涼しい感じを体感できそうですよw
>小公望さん
その話、僕も聴いたことあります!
僕は将門ツアーを満喫しちゃったので、しばらくは成田山に行けないのかなw
>nomoさん
この手の物は事実より、そこに話があるという結果の方が大事ですから~
>seenさん
宗教とか伝説とかってのは得てして、そのときの権力者に良いように利用されるものなんでしょうね。その辺の裏を考えながら走るのも楽しいかも♪
>Sheinさん
僕も今回のレポート書きながら帝都物語を改めて見たくなったり(笑)