日光街道を自転車で行く > 日光街道探訪記 > 宇都宮宿から徳治郎宿へ
宇都宮宿は江戸から二十七里三十町(109.3km)・雀宮宿から二里(7.9km)、人口約6500人、総家数約1200件(本陣×2・脇本陣×1・旅籠42)を有する日光街道で17番目の宿場町です。
古くから日光街道一番の宿場町といわれ、将軍の日光参詣の宿泊地&日光街道と奥州街道の分岐点として栄えたそうです。
市街地にはかつて広大な宇都宮城が建っていましたが戊辰戦争によって大半が破壊され、その土地の多くは市街地となっています。現在、本丸の一部が残されており御本丸公園として整備されています。
国道4号線にした勝手進んできた日光街道は不動前交差点で左に逸れ「不動通り」を進む形となります。交差点にはその名の通り不動尊が祀られており、古くから宇都宮入口の目印となっていたそうです。
不動通りを進み東武宇都宮線を越えたところには、蒲生君平勅旌碑があります。
蒲生君平の著作が明治維新に大きな功績があったとして「君平の人となりはまことに立派であるからこれを広く天下に表して庶民に知らせるように」との勅令が下り碑が建てられたとのこと。
どんだけ立派な人ですか!
宇都宮は昔から大きな宿場ですが、今でも栃木県の県庁所在地でありかなり大きな町なのですが、旧街道沿いには当時を偲ばせる物が結構残っていて嬉しい限り♪
写真上左は「新町の大ケヤキ」
江戸から宇都宮城の入口に立っており、当時から旅人の目印になっていたものだそう。昔の人もこうして見上げたんでしょうか?
と、宇都宮にせっかく来たので宇都宮城を覗いていきましょう。
宇都宮城はそもそも宇都宮氏の祖・宗円が築いたといわれ、本多正純による釣り天井伝説(宇都宮城に将軍暗殺の為の吊り天井があったという伝説)や、関東七名城の一つとしても知られています。
宇都宮城自体は戊辰戦争で破壊されてしまって現存していませんが、本丸土塁の一部と土塁上に建つ富士見櫓、清明台櫓、および土塀等が復元されて宇都宮城址公園となっています。
これが予想以上に立派!
高い土塁とその上に立つ富士見櫓から想像ずるに相当大きなお城であったのではないかと〜
予想以上に面白かった宇都宮城を跡にして再び日光街道に戻ります。
街道は宇都宮地方裁判所の前のT字路を右に折れ、そのさきすぐの交差点で清住町通りを左へ折れて進みますが、この付近に本陣などがあったそうなのでそちらに寄り道〜
かつて宇都宮宿には上野・石塚の二つの本陣がありました。
その一つ「上野本陣」は日光街道が清住町通りへと進む向かい側にあったとされ案内看板が立っています。現在は写真上中央のように学習の大きな看板が立つ駐車場になっていました。
また、もう一方の石塚本陣も同じ大通り沿いにあったはずなのですが残念ながら跡を見つけることができませんでした。
宇都宮は大きな宿場だっただけあってこの他にも見所満載なのでゆっくりしたいところですが、既に時間は14時を廻りいろいろやばくなってきたので日光街道を先に進みたいと思います。
清住町通りに入ってすぐの所に立つ?上野
古い立派な建物と名前から想像するに本陣を務めた上野家の関係者と思われます。
旧街道沿いには桂林寺や大きな石碑・古い建物等の見所がいくつかあるので、それらをチラ見しながら走ります。
やがて、清住町通りは国道119号線と合流します。ここまでは主に国道4号線に沿って走ってきましたが宇都宮から先は国道119号線が主なルートになります。
ところで・・・
宇都宮といえば餃子じゃないですか!
そうです。もう14時だというのに今まで昼食を摂っていなかったのは宇都宮で餃子を食べたかったからなのですよ。
そんなわけで今日のお昼は数ある宇都宮餃子店の中でも評判が高い「正嗣 戸祭店」をセレクトしてみました。
正嗣のメニューは「焼餃子」と「水餃子」の2種類のみ。
せめて御飯くらいはと思ったりしますが、ある意味男らしい割り切り具合です(笑)
あまりにもお腹が空いていたので写真を取り忘れて食べちゃいました(汗)
焼餃子と水餃子をそれぞれ1人前ずつ食べたのですが、両方とも野菜の甘みが良く出ててなかなかおいしかった〜、しかも各210円と安いのも◎♪
ふぅ、やっと昼食を食べてお腹が落ち着きました(笑)
ここから先は日光街道の代名詞ともいえる杉並木の中を走る快適ルート♪はりきっていきましょう!
杉並木が始まって2kmほど、文星女子短大の手前に日光街道28番目の一里塚「上戸祭一里塚」がありました。
上戸祭一里塚は、道の両側に塚が現存する貴重な一里塚で、西側の塚の上には檜も植えられ当時の様子を偲ばせます。
そもそも杉並木は、旅人を雪や風雨から保護するために植えられたものですが、車で走っているとそのありがたさを実感することはありません。
対して自転車では・・・、めっちゃありがたい!
昨日今日と日光街道を走ってきて夏の日差しが照りつける中をひたすら走るつらさを噛みしめてきたわけですが、杉並木の中は気温が何度か違うのでは?と思うほど涼しく、歩きで旅する方にとってはこれは最高だよなぁと。
そんなことを考えていたら、左手に大晃ドライブインを発見。
ちょうど水分が無くなっていたので、現代は便利だなぁと(笑)
その中に「大晃 不動滝」とあったので行ってみたのですが写真上右の通り水が流れて無くてすさんだ感じになってました(汗)
大晃ドライブインから500mくらい、東北自動車道の高架のちょっと手前に29番目の一里塚「高谷林一里塚」がありました。
東の塚には杉の木が植えられていましたが、西の塚は草むらの中になっておりよく分からない状態に〜。でも、ここも両塚とも健在のようです。
日光街道沿いには、第●接合井と書かれた煉瓦造りの素敵な建物がいくつか建っています。これは大正5年に竣工した宇都宮市水道施設で、その中でも一番手前にある第六接合井(写真上左)は当時のまま残る貴重な施設です。
昔のこういう施設って、どことなくおしゃれだよなぁと考えていると、もうすぐ徳次郎宿に到着です。