日光街道を自転車で行く > 日光街道探訪記 > 徳次郎宿から大沢宿へ
徳次郎宿は江戸から三十里十二町(119.1km)・宇都宮宿から二里十八町(9.8km)、人口約650人、総家数約170件(本陣×2・仮本陣×1・脇本陣×3・仮脇本陣×1・旅籠72)を有する日光街道で18番目の宿場町です。
下徳次郎、中徳次郎、上徳次郎の三宿を合わせて徳次郎宿といわれ、当初は上徳次郎村だけでしたが、中徳次郎、下徳次郎、その他の村ができ徳次郎六郷となったといわれています。
まず、右手に富屋小学校が見えてきた先が下徳次郎宿
この付近には大谷石で造られた石造りの蔵が多く並んでいます。どうやらこの辺りの名産だった模様。
下徳次郎宿は400m程続きそのまま中徳次郎宿に入りますが、本陣など主要な施設を示す案内等は見つけることができませんでした。
日光街道はそのまま中徳次郎宿を抜けますが、抜けたところに智賀都神社が建っています。
智賀都神社は、徳次郎三宿の総鎮守であり778年に日光山大明神を勧請して千勝森に祀ったものだそうです。境内には栃木県の天然記念物にも指定されているという大きなケヤキの木が2本建っており思わず見上げてしまう立派さです。
智賀都神社を出たところには「徳次郎六本杉」と書かれた看板があり中央分離帯の中に6本のまだ小さな杉が植えられています。かつてここに立っていた6本の杉を復元したものだそう。
智賀都神社から1km程進むと上徳次郎宿に到着。
こちらもあまり当時を偲ばせる案内はなかったのですが、唯一家の前に木門が立っているお宅(写真上右)を発見。帰ってから調べたところどうやら脇本陣を務めたお宅だそうで、その向かい辺りに本陣があっとということです。
上徳次郎宿から500m程進んだ船生街道入口のT字路に30番目の一里塚「石那田一里塚」があります。
北側の塚の上には「一里塚」を書かれた碑が建っていましたが、南側の塚は確認できませんでした。南側の塚があったと思われる位置には道祖神が祀られていましたが一里塚との関係は?
日光街道は36里なので一里塚は34ヶ所になります。残すところあと4つ、日光までの旅もあと少しとなってきましたね〜
街道の両側の土塁にオレンジや白のユリの花が咲いていて目にも綺麗だし香りも強烈だなぁ、と思っていると、左手に石那田八坂神社が見えてきました。
ちょうど大祭の翌日だったらしく、お祭りの様子を写した写真が貼られていたのですが、たくさんの山車が出ていて結構面白そうな様子です。もう一日早ければ山車が見れたかも〜。
と思ったら街道沿いにあった倉庫で山車を収納している様子を見ることができました!
こんな山車が何台も連なっているお祭りは見応えありそうですね〜
日光街道は日光市へと進みます。
周囲の田園風景を眺めながらのんびりと行きたいところですが、国道119号は車通りが結構激しいためおちおちのんびりしていられません。
大沢宿に入る手前で国道119号は二股に分かれます(写真下中央)。
旧日光街道はこの分岐を右に進みます。
左手は新しく造られた国道らしく、逆に右手は車もグッと少なくなりとっても快適な街道歩きとなります。
キキキキキ、という鳥の声が杉並にの中に響き、さっきまでとはうってかわって静かな雰囲気♪
その途中には並木寄進碑が建っていて、この杉並木が武州川越城主・松平正綱が日光東照宮に寄進したものであると書かれていました。
この寄進碑は日光神領との境界に立てられたので境石とも呼ばれたとも書かれていて、ここから先は日光の神領となるようです〜
旧街道の静かな杉並木は900m程続き、ここを抜けると大沢宿に到着となります。