日光街道を自転車で行く > 日光街道探訪記 > 千住宿から草加宿へ
千住大橋を渡り芭蕉もここから旅を始めたのか〜、と一人感慨にふけっていると程なく千住宿に到着となります。
現在の日光街道は足立市場入口交差点を左へカーブしていきますが旧道は真っ直ぐ進みますのでそちらへ。すると足立市場の壁面に「千住宿 奥の細道」と書かれているのが見えてきます。
千住大橋を渡り芭蕉もここから旅を始めたのか〜、と一人感慨にふけっていると程なく千住宿に到着となります。
現在の日光街道は足立市場入口交差点を左へカーブしていきますが旧道は真っ直ぐ進みますのでそちらへ。すると足立市場の壁面に「千住宿 奥の細道」と書かれているのが見えてきます。
現在は北千住駅の駅前商店街となっている千住宿は、江戸から二里八丁(8.7km)、人口約1万人、総家数約2400件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠55)を有する日光街道(及び水戸・佐倉道)で一番最初の宿場町です。
当初は隅田川の北側を千住宿と呼んだそうですが、その後、人口の増加などにより南側の小塚原町周辺も千住宿に取り込まれていったとのこと。
駅前商店街として発展している旧千住宿には、当時を偲ばせる物はあまり残されていませんが、街道沿いのお宅が当時の屋号と思われる表札を掲げていたり、高札場跡(写真上左)、千住一里塚跡(写真上右)、問屋場跡(写真下左)、本陣跡(写真下右)など主だった施設があった場所には石碑が建てられているのでそれらを見ながら走ります。
それにしても・・・、本陣跡が今では100均というのがなんとも(笑)
駅前商店街を過ぎて周囲が何となく静かになってきたなぁと思っていると周囲にポツポツと趣のある建物が増えてきます。ここにきてようやく「宿場町」の雰囲気が漂ってきますよ〜
宿場大きな役割の一つに、文書や物資を運ぶ通信機能がありますが、それを伝馬(てんま)または伝馬制といいます。千住宿には、伝馬を担った「伝馬屋敷 横山家住宅(写真左)」が残されています。
そのほぼ向かい側には有名な「かどやの槍かけだんご」があるのですが、残念ながら営業時間前だったりして食べることはできませんでした。
かどやを過ぎると日光街道は荒川の手前で斜め左へと折れていきます
と、その前にちょっと先にある名倉医院を覗いていきましょう。
江戸時代から「ほねつぎといえば名倉」で知られた名倉医院、今でも江戸時代から昭和初期の建物が残されており医者としても現役です。
このまま北へ向かうと下妻道となってしまうので、分岐路まで戻って旧日光街道へと進みます。
かつての日光街道はこのまま真っ直ぐ、現在の荒川を横切るように進んでいました。というのも現在の荒川(荒川放水路)は昭和5年に人口河川として作られたもので日光街道が現役の頃にはここに川はなかったからです。
今の荒川を見るとこれが人口の河川だとは信じられませんが・・・
川を横切るわけには行かないので千住新橋を渡り、橋北側を左折して川沿いを進みます。
300m程進むと善立寺という妙に立派なお寺があるので、そこを左折すると旧日光街道に復帰できます。
住宅地の中を進むので特にこれといった見所もないのですが、東武梅島駅手前のY字路のところに道しるべが残されていました。
日光街道は東武梅島駅のガードをくぐり北へと真っ直ぐにつづきます。
駅から1km程進んだところにかつての六月村1里塚の跡があるとのことだったので行ったり来たりかなり探したのですが見つけることができず、写真上中央の木を勝手に一里塚と決めて先に進みます(笑)
帰ってから調べたところどうやら、今では何も残って場所ははっきりしない模様です。
せっかくなので碑だけでも建ててもらえませんかねぇ足立区さん。
さらに、鳩ヶ谷道との分岐となる増田橋跡(写真上右)を通過しつつ進みます。
増田橋より先は半住半商的な街並みとなりますが、車通りが多い割に道幅が狭いのでちょっと注意が必要かも。
左手に足立清掃工場の赤白な煙突が見えてきたら、旧日光街道は一旦都道103号を右手に離れる形となりますが、200m程ですぐに復帰。程なく国道4号線の高架が見えてくるのでこれをくぐります。
高架をくぐり左手を見ると小さな神社「水神社」を発見。
どうやらこの後渡る「水神橋」の名称の元となった神社のようです。
水神橋の下を流れているのは毛長川で、どよ〜んと淀んだドブ川となっていています。
と、水神橋を渡ったところで東京都とお別れし埼玉県へと入り、県道41号を草加宿へ向かいます。
途中、こんもりとした森が見えたら浅間神社、その先県道54号との交差点にある小さな祠が火焙り地蔵です。昔この付近に刑場があったことからその名が付いたそうですが、やはり街道と刑場は切っても切れない関係にあるようです。
そこから少しだけ進むといよいよ草加宿に到着です。
路面に緑色のラインが引かれたY字路を左手(商店街の方へ)進みます。
このY字路を左へ進むと草加宿
このちょっと手前に吉町一里塚があったようなのですが、こちらも跡形もありません