日光街道を自転車で行く > 日光街道探訪記 > 幸手宿から栗橋宿へ
幸手宿は江戸から十一里二十八町(46.2km)・越谷から一里十八町(5.9km)、人口約4000人、総家数約1000件(本陣×1・旅籠27)を有する日光街道で6番目の宿場町です。
かつては日光街道と御成道との合流点として賑わった宿であったそうです。
志手橋で倉松川を渡ると右手に神明神社があります。ここにはかつて高札場があったということ。
神明神社には眼病に効くといわれる「たにし不動尊」が合わせて祀られていてタニシを書いた絵馬を奉納すれば御利益があるといわれています。
幸手宿には趣ある建物が多くみられ非常に楽しげ〜
幸手宿本陣 知久家跡
本陣・問屋・名主の三役を兼ね幸手宿で最も重要な役割を担っていたという知久家の跡は今ではウナギ屋になっています。
そのままみちなりに真っ直ぐ進むと正福寺の手前で右へカーブしていきその左手に幸手一里塚があります。
幸手一里塚
当時は両側にあったそうですが、今は空き地になっている以外は跡形もありません
県道65号線を進んでいくと、内国府間の交差点で国道4号線と合流。
このまま真っ直ぐ国道を進めばいいのですが、幸手宿の北側を流れる中川沿いには権現堂堤という桜並木があるのを思い出しました。
今は桜の季節ではないのですが緑の並木道は涼しかろうということで寄り道していきます〜
やっぱり、夏の自転車はコレだよね〜
日向で車の廃熱がガンガンの国道とか走ってる場合じゃないよ〜
と身も蓋もないことを考えますが日光街道はまだまだ続きます(笑)
御幸橋で中川を渡り、橋を越えてすぐを左折し国道沿いに続く旧道へと進みます。
ここの風景がホントの〜んびりした良い景色♪
田んぼの中に細い道が若干のカーブを繰り返しながら続き、途中、筑波道との分岐の所には幸手市指定史跡にもなっている日光街道道しるべなども残されています。
旧道が国道4号線に寄り添うように続くようになってしばらくすると、小右衛門一里塚があります。
小右衛門一里塚は日光街道14番目の一里塚で、埼玉県内では蒲生一里塚とここの二つのみが現存しています。
旧日光街道は国道4号線の堤の下を続いていきます。
途中、一旦国道に合流する部分もありますが、埼玉では有名なストリップ「栗橋大一劇場」の前を左折し再び旧道となります。
栗橋大一劇場の前には、まだ昼間だというのに何台かの車が並んでおりちょっとドキドキだ(笑)
栗橋大一劇場のすぐ裏には、川通神社があり境内を覗くと木塀で囲まれた小さな本堂の隣に常夜灯があり、隠れていた街道風味を発見してちょっと嬉しい感じ〜
再び国道を離れ裏道を走っていくと「会津見返り稲荷」を発見。
地水のため街道がどこか分からず困っていた会津武士を狐の化身といわれる白髪の老人が助けたという伝説があるそうです。
日光街道は国道4号線と国号125号線が合流するジャンクションへと差し掛かりますが、この付近の旧道がイマイチよく分かりません。資料によると一旦国道4号の東側に廻っていたようなのですが、よく分からないので適当に走っていたら予定の道に出ました(笑)
たぶんちょっと違っていると思うけど、まぁよしとする。
栗橋宿の入口にある「ほうろく地蔵」
利根川の関所破りで捕まった人々は火あぶりの刑に処されたといわれ、その供養のために祀られたお地蔵様ということ。
火あぶりとはまた強烈ですね(汗)