日光街道を自転車で行く > 日光街道探訪記 > 小山宿から新田宿へ
小山宿は江戸から二十里二十三町(81.1km)・間々田宿から一里二十五町(6.7km)、人口約1400人、総家数約420件(本陣×1・脇本陣×2・旅籠74)を有する日光街道で12番目の宿場町です。
田原藤太秀郷が平将門追討のためにここに城を築いたといわれ、宿場町として栄える前は秀郷の子孫である小山氏の本拠地で小山城の城下町として賑わっていたそうです。
小山宿の入口辺りに「小山一里塚」があったようなのですが今は何も残されていません。
資料によると天神町1丁目交差点のちょっと手前だったようなので恐らくこの辺りにあったのではないかと〜
一里塚の跡を過ぎると小山宿です。
しばらく走っていくと左手に「明治天皇小山行在所」の石碑があり、その奥に立派な構えの玄関が見えます(写真下左)。これは小山宿の脇本陣の跡。
そのちょっと先に本陣があったようなのですが、新築のマンションが分譲中で何の跡も残っていませんでした。。。
その後、将軍家の日光参詣の際に休憩所として利用されたという小山御殿跡をチラッと覗いて小山宿を後にします。
小山宿を出た日光街道は2.5kmほど県道265号線を進みますが、国道4号線と合流するちょっと手前にある「喜沢の追分」(写真下中央)でのちょっと先で細い路地に入っていきます。
喜沢の追分は、日光街道と壬生道の分岐で、道しるべと思われる石碑郡が残っていました。
追分けより先は車1台通れるかどうかという幅の狭い道。
いや〜、旧街道探索っていうとこういう雰囲気が希望ですよ、とか勝手なことを妄想しながら進んでいる内に喜沢一里塚を見過ごしました(汗)
裏路地に入ってちょっと行った辺りに塚が残されていたようなのですが、妙な城のような建物(写真上右)に気を取られすぎて見つけることができませんでした。
資料によるとこの辺りが一里塚となっていますが、どうやらもうちょっと手前だったようです。
細い路地は新幹線の高架下を進み、菅沼接骨院の手前で再び左に分岐。
その後国道4号線に合流したらもうすぐ新田宿に到着です。