日本橋から千住宿へ

日本橋を出発して日光街道千住宿まで。
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日本橋から千住宿へ

日光街道は、日本橋三越の前を中央通りに沿って北上していきます。
ちなみに三越のもともとの名称は越後屋、そして開祖は三井家、その二つをあわせて三越となりました。

さらにその隣には、これまた立派な造りの三井住友銀行があり、そちらも前身は三越に併設された両替商、そしてその隣に新しくできたのが日本橋三井タワーと、この辺りは完全に三井村なんですね〜

お財閥強し!

とか考えながら、日光街道は日本橋三井タワーが建つ交差点を右に曲がり、東へとすすんでいきます。

さすがにこの辺りには旧街道を思わせるものはなく、ちょっと裏道的な雰囲気の中を首都高1号線(昭和通り)を迂回しつつすすんでいきます。

昭和通りを越えてしばらく行くと、地下鉄の小伝馬町駅に到着。
ここで本日最初の寄り道スポットに行くため日光街道を離れます。

小伝馬町駅のところで左折し江戸通りを渡ったところに、江戸時代のディープな歴史を残すスポット大安楽寺&区立十思公園があります。

この辺りは、かつて小伝馬町江戸牢屋敷があった場所です。
小伝馬町江戸牢屋敷は江戸時代日本最大の牢屋敷であり、2600坪といわれる敷地では慶長年間から明治までの270年の間に10万人以上の囚人が処刑されたといわれています。

安政の大獄では吉田松陰や橋本左内等がこの牢屋敷で処刑されたということで、十思公園には吉田松陰終焉の地の碑も建っています。

大安楽寺は、牢屋敷の中でも斬首刑を行っていた処刑場跡に建てられています。

その名前は寺を造るに当たって寄進した大倉喜八郎(ホテルオークラ等)と安田善次郎(安田財閥)の「大」「安」楽寺だそう。

いや〜、朝っぱらからディープなネタに踏み込んでしまいましたが、江戸時代には治安と見せしめを兼ねた処刑は表裏一体であり、街道歩きとは切っても切れない関係にあったりするのでこのポイントは外せません。

さて、気分を切り替えて日光街道へ戻りましょう。

再び東へ向かうと大門通りと交差します。
ここを南へ行くと旧吉原があった場所(人形町付近)であり、吉原大門へと向かう道の名が今でも残されているのです。

さらに進み横山町問屋街を抜けると、清洲橋通りを経て江戸橋通りと合流し浅草橋を渡ります。

浅草橋の南側には「郡代屋敷跡」があり、幕府直轄領の年貢の徴収・治水・紛争の処理などを行った場所とされています。

橋の北側には「浅草見附跡」

見附とは、外敵の侵攻・侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には全部で36の見附があったそうです。

都内は見所が多すぎてサッパリ先に進みません(笑)

日光街道は国道6号線(江戸橋通り)を総武本線のガード下をくぐりつつ北上していきますが時間はちょうど午前8時、(今日は平日なので)出勤するサラリーマンの人混みが凄いことになってきましたよ〜

人混みを避けつつ、蔵前橋のところで「見返りの松」にちょっと寄り道しつつさらに北上すると左手に「駒形どぜう」が見えてきます。

日光街道探訪で初めて出会う、古い建物かも〜

駒形どぜうを過ぎて駒形橋西詰交差点のところで、日光街道は一時国道6号線を離れ雷門方面へ向かいます。

駒形橋西詰交差点の北側に建つ駒形堂の敷地内には、「ここは浅草観音が出現した聖なる場所なので、駒形堂を中心にして十町余の川筋で魚介の殺生を禁じる」という趣旨のことが書かれた浅草観音戒殺碑が建っています。

犬公方で有名な徳川綱吉の治世に作られたものです。

国道6号線と分かれて雷門にたどり着くまでの間に日光街道一つ目の一里塚(浅草一里塚)があったそうなのですが、現在は跡形もなくその場所もイマイチ定かではありません。

そうこうしている内に雷門に到着〜

雷門前ではアジアな観光客の皆様が写真を撮りまくっていましたよ♪

雷門前を右折し、再び国道6号線へと戻ります。

ふと、正面を見ると立派なウ●コを掲げたビルがあり、有名なアサヒビール本社ビルとなっています(笑)

金色のアレを見ながら東武浅草駅前を左折し再び国道6号線を北上、途中に姥ヶ池に寄り道しながら進みます。

姥ヶ池とは?
その昔、娘をエサに旅人を連れ込んでは殺して金品を奪っていた老婆がいました。
ある時、観音が美しい男に化けて泊まったところ、娘は観音の美しさに惹かれて床に入ってしまい、老婆はそれと知らずに娘を殺してしまったという、なんとも生々しい伝説が残っていたりする池です。

日光街道は言問橋西交差点で国道6号線とお別れし、都道464号線(吉野通り)を北上していきます。
古くはこの分岐を浅草追分といい、その西側には江戸市中の芝居小屋を集めて作られた猿若町があります。

老中水野忠邦の天保の改革で、風紀を乱すとの理由から芝居小屋を以下所に集めたという猿若町。

猿若町の名前は現在の中村勘三郎の初代に当たる猿若勘三郎に由来しているそうですが、芝居町としては現役ではないため当時を偲ぶものはほとんど残されていないみたいです。

猿若町をチラッと覗いた後で日光街道に戻ると今度は右手に待乳山聖天が見えてきます。

待乳山聖天は601年創建といわれ、お供物として大根を供える「大根まつり」で知られるちょっと変わったお寺です。

早朝(というほどでもないですが)の境内には人影はほとんど無く、本堂の前でお寺の方が掃除をしているだけでした。なんだか寂しげです。

待乳山聖天を離れかつて山谷堀という川が流れていた山谷堀公園を横切って進みます。
かつての川の流れの部分には橋の欄干が残されていたりするので見落とさないように♪

山谷堀を渡ると右手に都立台東商業高校が見えます。

その東側にあるのが今戸神社。
新撰組でおなじみの沖田総司終焉の地としても知られ、また、招き猫発祥の地ということで境内にはたくさんの招き猫がいる見所満載の神社です。

で、つい寄り道(笑)

再び都道464号線に戻りますがさらに寄り道は続きます。
この辺りは所謂「山谷地区」であり、朝からワンカップを持ったおじさま達が歩いている地域なのですが、寄り道スポットも盛りだくさんなのです。

都道464号線から左に入ったところにある春慶院には、有名な吉原の花魁「高尾太夫」の墓があります。

高尾の名称は一人ではなくふさわしい花魁が現れると世襲していたようで、全部で11人いるといわれ、このお墓はその中でも最も有名な二代目「万治高尾」の墓です。

さらにこの付近には、歌舞伎に登場する「梅若伝説」にちなんだ妙亀塚や、お化け地蔵などがあり歩きで廻ったらそれだけで1日掛かりそうな感じ〜

梅若伝説とは?
平安時代、吉田少将行房という者がいて、梅若丸という名の幼い子供がいました。あるとき梅若丸が人買いにさらわれて、その度の途中、東国は武蔵の国・隅田川のほとりで病死してしまいました。母親は子供を訪ねて旅を続けるのですが、梅若丸の死の1年後にこの地にたどり着き里人から梅若丸の死を聞き悲しみのあまり、鏡が池に身を投げてしまった。というお話です。

そしてネタも発見(笑)

左はお化け地蔵の処にあった看板ですが「HAUNTED JIZO」と書かれています。
英語に訳すとなんだか面白いw

そしてお化け地蔵の向かい側にある畳やさんに貼ってあったポスター。
その名も「畳ビズ」

意味が分からない上、畳とメイドさんは全く関係が無く、その上ダンスが非常に痛いと一部では大評判らしいですよ(笑)

その後、近所にあるという平賀源内の墓を探しましたが見つけることができず断念。

泪橋交差点で都道464号線に戻り南千住駅北側に小塚原刑場跡を軽く覗きつつ南千住商店街をさらに北へと走ります。(小塚原刑場については、「吉原〜山谷地区のディープなスポットを巡る」で立ち寄ったばかりなのでスルーしていますが面白い場所なので興味ありましたらたらリンク先を見てください)

南千住商店街

まだ9時過ぎなのでほとんどの商店が閉まっていて面白みがないですね〜。

開いてたら買い食いとかしたかった・・・w

南千住商店街を抜けると都道464号線(吉野通り)は現在の日光街道である国道4号線と合流し、千住大橋で隅田川を渡った後、日光街道最初の宿場町「千住宿」へと到着します。

この辺りは、小塚原町の名で知られた遊女街で、夜になると飯盛女と呼ばれる遊女達が格子の向こうに並んでいたということ。吉原は官営、こちらは半ば黙認されていた私設の遊女街で費用的にはこちらの方が安かったようです。

飯盛女は、江戸時代の宿場にいた給仕などを行うという名目で半ば黙認されていた私娼で、ここ以外にも各街道の宿場に存在しました。

都道464号線と国道4号線が合流するところには素盞雄神社(すさのおじんじゃ)があり、境内に芭蕉の奥の細道旅立ちの句碑(上の写真中央)があるので覗いていきましょう。

旅立ちの句は「行く春や鳥啼き魚の目は泪」

奥の細道ではまさに今回の日光街道から奥州街道へと旅をしているため、ここで旅の始まりを確認しておくと楽しげかもしれません♪

千住大橋の北側には「奥の細道矢立始めの地」という碑が建っています。

元禄2年(1689年)3月27日、芭蕉は深川から舟で隅田川を遡り、千住大橋の北側あたりに上陸して旅に出たとされています。

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