日光街道を自転車で行く > 日光街道探訪記 > 栗橋宿から中田宿へ
栗橋宿は江戸から十四里十四町(56.5km)・幸手宿から二里二十二町(10.3km)、人口約1700人、総家数約400件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠25)を有する日光街道で7番目の宿場町です。
利根川の船渡し(房川渡し)の町として栄え、北側に対する警備の要所として関所が設けられていました。
栗橋宿もポツポツと古い建物が残されているのですが、さすがに同じようなのを見過ぎて飽きてきたかも(笑)
っていうか・・・。もの凄く雲行きが怪しくなってきましたよ。
空がドンヨリして今にも夕立が来そうなので、のんびりせずに進んだ方がよさそうです。
とかいいながら、栗橋駅前にある「静御前の墓」に寄り道♪
源義経の寵愛を受けたことで知られる静御前ですが、義経討ち死にの報を聞き、失意の中、京へ戻る途中のこの地で亡くなったと言われているそうです。
栗橋駅前から再び日光街道に戻り、先に進みます。
栗橋宿の本陣は宿場北側付近にあったようなのですが、その跡を見つけることはできませんでした。(あとで調べたら案内看板があるようです)
江戸幕府は交通統制と治安維持のために主要な街道の要所に関所を設け、特に「出女と入り鉄砲」を取り締まりました。
栗橋関所は、日光街道で唯一の関所であり、現在の利根川堤防外側の利根川のほとりにあったそうです。現在、関所は残されていませんが堤防の内側に関所跡の碑が建っています。
ところで・・・
堤防の内側・外側ですが、一般に思うのとは別に、堤防に対して川側を外側といいます。
堤防が守る方が内側と考えると分かりやすいですね〜