越谷宿から粕壁宿へ

越谷宿を出発し粕壁宿まで行く自転車による日光街道旅
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越谷宿から粕壁宿へ

越谷宿は江戸から六里五町(24.1km)・草加から一里二十一町(6.2km)、人口約4600人、総家数約1000件(本陣×1・脇本陣×4・旅籠52)を有する日光街道で3番目の宿場町です。

六斎市の立つ町として鎌倉時代の頃から栄えていた越谷宿は、現在の越谷市中心部から元荒川の北側北越谷近辺までを指し、当時は北越谷周辺の方が栄えていたそうです。このため本陣や脇本陣も北越谷周辺にありました。

越谷宿は1899年の大火でそのほとんどを焼失してしまったということなのですが、旧日光街道沿いには蔵造りなどの古い建物も多くアチコチ見ていて飽きません♪

中でも必見だと思うのが鳩ヶ谷道の分岐を過ぎたところにある「塗師屋」周辺の街並み。古い建物が何軒か並んでいて今でも現役で営業中なのが興味深いです。

さらに街道は進み大沢橋で元荒川を渡ると、かつて越谷宿本陣「大松屋」があったとされるきどころパン店が見えますが、残念ながら見た目には跡形もありません。

さらに、山崎・深野と二つの脇本陣の跡も何も無し。ちょっと寂しい。
といっても江戸時代が終わりを告げた時点で本陣とかの経営はあっという間に行き詰まったのではないかと・・・

東武北越谷駅前を通過し、徐々に寂しくなる街並みを見ながら東武線のガード下をくぐると正面にこんもりとした大きな森が見えてきます。

これは宮内庁埼玉鴨場。
かつての幕府の鴨場を宮内庁が引き継いだもので、外国要人の接待に使われているそうなのですが一般人は入れないので中身の詳細は不明・・・

宮内庁鴨場が見える交差点には小さな石碑が並んでいましたが残念ながら文字を読むことはできませんでした。

特に見所はないのですが、微妙に曲がりくねった旧街道をひたすら北進〜

途中、東武線を渡り国道4号バイパスをくぐり進んでいくと、せんげん台駅手前で国道4号線に合流。ここから車の廃熱が暑苦しい国道生活が始まります(T T)

春日部市に入りしばらく進むと右手に大落古利根川の流れが見えてきます。

この場所にあったといわれているのが備後一里塚で、現在跡形もありませんが碑が建っているので分かりやすいです。

ところで・・・ふと気が付けば「越谷」「下間久里」二つの一里塚をチェックし忘れました。
しまったなぁ、と思いましたが仕方ないのでこのまま先に進み、一宮の交差点を左に進むと粕壁宿に到着します。

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