粕壁宿から杉戸宿へ

日光街道を歩いて粕壁宿から杉戸宿まで
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粕壁宿から杉戸宿へ

粕壁(春日部)宿は江戸から八里二十七町(34.4km)・越谷から二里二十二町(10.3km)、人口約3700人、総家数約800件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠45)を有する日光街道で4番目の宿場町です。

江戸時代には、古利根川を利用してた米麦などの物流の拠点として栄え、松尾芭蕉が「奥の細道」で最初に宿泊したといわれている宿場町です。

現在の春日部宿は「かすかべ大通り」となっており、道の両脇には再開発によって建てられたと思われる真新しい高層マンションが並んでいます。

本陣や脇本陣があったとされる場所も覗いてみましたが残念ながら、当時を物語る跡は何もありませんでした。

さらに日光街道を進むとキレイな白壁の田村家があります。

その前には「東 江戸」「西南 いわつき」と刻まれた天保5年の道標も建っています。

入ってすぐこそ何の跡形もなかった粕壁宿ですが、奥に進むにつれて古い建物がチラホラ見られるようになってきます。

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日光街道は新町橋(西)交差点で右折し、新町橋で古利根川を渡ります。

と、その前に先ほどの道を真っ直ぐ行ったところにある最勝院に寄り道。
境内は緑の木々が綺麗に整えられており、ちょっとだけ暑さがやわらいだ気がします(笑)

日光街道が右折する新町橋(西)交差点を左折するのが岩槻道で、チラッと覗いてみたところそちらの方が雰囲気ある道だったりして微妙に楽しそうですが、後ろ髪を引かれつつ古利根川を渡ります。

古利根川を渡るとすぐのところで道が二股に分かれていますが、日光街道は左に進むのが正解。

そのまま道なりに県道319号を進んでいくと、道端にひっそりと建っている小渕一里塚の碑を発見。

東京側から走ると陰になっていて見落としがちなので注意〜

小渕一里塚を過ぎるとすぐ、右手に立派な屋敷塀がある邸宅が見えてきます。
その前の二股に「左 日光道」と書かれた道しるべがあるので、それに従い左へ進んでいくと程なく国道4号線と合流します。

国道に入ってからは特に見るべき物もなく、車は多いし廃熱で頭はクラクラするしで、ダラ〜とした気持ちの中歩みを続けます。

道は春日部市から杉戸市へ至り、路上に掛かる看板には「すきすきすぎーと36」なる怪しい文字が見えてきます。

小さなドライブインのようになっている「すきすきすぎーと36」・・・
何でまたこんなユルい名前を・・・、と思ってしまいますが、どうやらここが北緯36度線と国道4号線が交わる場所という意味らしい。

だから何?とか言ってはいけない(笑)

すきすきすぎーと36から500m程進んだところで、日光街道は一旦国道4号線から離れます(写真上右)

国道と違って静かでのんびりした旧道を走っていくと、左手に小さな祠がありその隣に日光街道道しるべと庚申塔が建っています。

道は再び国道4号と合流し、500m程先の堤根交差点で再び分かれます。
そして堤根交差点を左へ進んでいくともうすぐ杉戸宿に到着となります

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