今市宿から日光・鉢石へ

日光街道の終点「鉢石」まで、折りたたみ自転車で今市宿から走ります
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今市宿から日光・鉢石へ

今市宿は江戸から三十四里十三町(134.9km)・大沢宿から二里(7.9km)、人口約11100人、総家数240軒(本陣×1・脇本陣×1・旅籠21)を有する日光街道で20番目・日光までの道のり最後の宿場町です。

日光街道・日光例幣使街道・会津西街道の合流地点であり古くから交通の要所として賑わった宿場です。もともとは今村と呼ばれていましたが宿場となって次第に市場として盛り上がってきたため今市と改め、毎月1,6の日を市の日と定めていたそうです。


旧街道を出て今市の街並みに入る直前にあるのが、日光例幣使街道との追分。
ここには追分け地蔵尊が祀られており、東日本有数の巨大なお地蔵様が祀られています。

ホントにデカイ(笑)

追分け地蔵を後にして進むとすぐに今市宿なのですが、ここで不味いことに気が付きました。いやあの、既に17:30なんですよ。。。日没の時間を考えると今市でのんびりしすぎると日のある内に日光・鉢石にたどり着くことができません(汗)

しかたない。
いつものパターンですが最後は巻きで行きましょう(笑)

今市宿に入ってすぐの辺りに高橋本陣があったということなのですが、何の案内も見つけられずに通過。

途中、かの有名な二宮尊徳のお墓があるという報徳二宮神社があって非常に心惹かれるも断腸の思いでこちらも通過です。


戊辰戦争で街並みのほとんどが焼けてしまったという今市宿にはあまり古い建物は残されていませんが、かわりに(?)街のアチコチに「いまいちの水」というおいしいのかどうか微妙な湧き水があったりします。

一口飲んでみたら「イマイチ」という割には甘みがあっておいしい水でしたよw

街並みを眺めながらしばらく進むと左手に大谷石で造られていると思われる古いお宅、さらにその先には立派な格子戸の前に謎のフクロウの石像が建つお宅がありました。

そしてその先にあるのが今市宿の総鎮守である瀬尾神社。
四季の風に乗った神様の力を風車で受け止めて運気を高めるという「かざぐるまを祀る神社」として有名らしいです。

境内にはたくさんの風車が祀られていて綺麗でしたが、夜見たら結構怖い予感(笑)


瀬尾神社のすぐ脇から再び旧日光街道に入ります。
細かい砂の少々走りにくい路面が続きますが、両脇に石造りの水路が流れ雰囲気はもう最高!

この静かで爽やかな風景を写真では伝えられないのがもどかしい〜

日本橋からひたすら日光街道を走ってきましたが、最後に近づいてこの風景だと果然やる気が湧いてきますが、景色が綺麗だと写真を撮りすぎて先に進まないという問題点も!?

街道の右手にはかなりの水量が流れる用水路が流れています。

後でわかったのですがもうちょっと先にある杉並木公園の中にはこの水路の水を分水している円筒分水井があるらしいです。これは見ておきたかった!

瀬尾神社から700mほど進んだところに、日光街道最後の一里塚となる「瀬川一里塚」がありました。

ここが最後の一里塚なのですが、34番目ということは江戸から34里、日光街道は36里3町ですから35里の一里塚があったしかるべきではないかと?

なんででしょうね〜?
しかももっと謎なのは、今市宿が34里13町なことで、34里はもう過ぎてるじゃん、みたいな。


一里塚の前で一時考え込みましたが考えても分からないので先に進みましょうw

瀬川一里塚を過ぎてすぐのところに杉並木公園があります。
杉並木公園には、巨大な水車や円筒分水井、古い民家など見所も多そうなのですが夕暮れも押し迫っているのでチラ見するだけでサクッと通過しちゃいました。

円筒分水井が見たかった・・・

ここから2.5kmほど旧日光街道は続きます。
先ほどまで踏み固められた砂の路面だったのですが、ここから先は石畳となります。歩く人には良いのかもなのですが、自転車的には滑るので走行には注意が必要です。

途中、戊辰戦争の際に砲弾が当たった跡が残っているという「砲弾打込杉(写真上右)」を発見しましたが、どこが当たった跡なのかイマイチ分からず(笑)

そのまましばらく進むと旧街道は終了し国道119号線と再び合流します。

国道119号に出てすぐ左手に弘法の霊水という湧き水を発見。

この湧き水に行くには徒歩で線路を跨いでいくという何ともローカルな霊水です(笑)

関東だったらすぐ電車が遅延しそうだ・・・

さらに進むと生岡神社と書かれた石碑(写真下左)や、その姿の美しさから「並木太郎」と称される並木の中で一番大きな杉(写真下中央)、根元が銀杏の葉のように広がっている銀杏杉(写真下右)などがあるので、立ち寄りながら進みます。

杉並木がいったん途切れた左手には「明治天皇御小休所跡」
立派な木門が残されていました。


JR日光駅付近に鉢石宿の入口にあたる木戸跡があると資料に記載されていたのですが残念ながら見つけることができず、その代わり「日光杉並木街道」と書かれた碑を見つけました。

日光並木街道 並木寄進碑

あれれ?これって神橋の所にあるんじゃなかったかなぁ?

やばーい。
18:30を廻ろうかという時間、夏とはいえかなり日が暮れてきました。おまけに雨がポツポツと・・・(汗)

もはやいろんなことを考えたりしている余裕はありません!
とりあえず東武日光駅を通過し、本陣跡とか宿場の名前の由来となった鉢石とか見所があるはずなのに〜、と後ろ髪を引かれながらとにかく日光街道の終点である神橋を目指します。


寄り道しすぎて時間が足りなくなるのはもはやいつものパターンですが、何とか日のある内に神橋に到着〜。夕暮れでライトアップされた神橋もステキですよ(笑)

神橋のすぐそばには、「日光並木街道 並木寄進碑」が建っておりやはりこちらが本物だよなぁと。と、同時に2日間掛けて日本橋からたどってきた日光街道もここで終点となります。


本当はこの後日光東照宮をゆっくりと見てまわるつもりだったのですが、日がとっぷり暮れてしまい断念。ツーリングの予定はもう少し余裕を持ってたてるべきだといつも通りの反省をしつつ2日間の日光街道の旅を振り返ります。

ホントは・・・
日光の街並み&東照宮をゆっくり見るために、急所ここでもう1泊するか悩んだんですよ。でも、結局宿が見つからず、まぁ日光はまた別の機会にゆっくりみればいいや♪ということで帰還を決意しJR日光駅へ向かいました。

帰りの電車では「日光といえば日光ビール!」とか独り言を言いながら一人反省会。
水分を出し切ったしかも空腹にビールを2本流し込んだらすっかりベロベロになり、我が埼玉までやっとの事で帰ってきました(笑)

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