そもそも道はどのようにしてできたのでしょうか?
道の起源には、いろいろな説があり今となってはどれが正しいのかはわかりません。
たとえば、
などが主な起源とされていますが、いずれにしても人や動物が食料や水を求めて踏み固めたものが道の起こりと考えられています。
徳川家康が天下を握り江戸幕府が開かれた後、徳川家康は各大名に対する支配を強化し安定した幕府を築くために江戸と各地を結ぶ交通網の整備を重点的に行いました。
それまで各地の戦国大名が個々に整備していた交通網を全国規模で整備を行ったのです。その中でも江戸幕府が道中奉行の管轄下で支配・整備を行ったのが五街道です。
当サイトでは一般的になじみの深い日光街道の名前を使っていますが、江戸幕府により正式に定められた名称は日光道中でした。
日光街道は、日本橋を起点とし日光へ至る街道で、徳川家康の廟所が久能山から日光山へ移された際に将軍の東照宮参詣の為に設定された街道です。
伝馬(てんま)とは輸送用の馬のことで、律令時代に各郡に馬を置いて官吏連絡用に使われていたのが始まりです。
一里塚とは、江戸日本橋を起点に一里(36町=3.9km)ごとに街道の左右に築いた塚で、5間(約9m)四方、高さ1丈(約1.7m)ほどの塚に松や榎を植えたものです。
江戸時代の宿の役割は大きく2つあり、1つは旅人や物資を次の宿に運ぶための人足や馬を用意すること、そして旅人に宿泊・休息の場所を提供することです。