自分の生まれ育った茨城の被災状況が、やっと最近TVでも短時間放映されるようになりましたが、昨日実際自分の目で見て来て想像以上の被害の大きさに慄き、改めて自然の力に畏怖の念を抱く結果となりました。
被災地の写真を掲載する事に少し迷いましたが、皆様にも現実を見て欲しかったので、一部掲載することにしました。
今回、仲間達から集めた食料を、被災地に搬送するという事と、東海村でたった一人で、被災された方々へ飲料水を分けたり、洗濯機、お風呂の提供までされてる慈悲深いPさんの所へ、食料や物資を手渡しに行けたことが、自分にとっては凄く良い経験になりました。
写真、他にも幾つか撮ったので、ご興味ある方は是非深い爪跡見て下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/kenken89892000/2851927.html
最後になりましたが、今回被災された方々には、心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧がなされますようお祈り申し上げます。
尚、写真や文章が本サイトに不適切な場合は、お手数ですが削除願います。
ブログの方も拝見させていただきましたが、言葉にならないとはまさにこのことですね・・・
僕はチマチマ募金することしかできてないのですが、こういった形で実行できる方はホント尊敬します!
一日も早い復興を祈るばかり。。。
●robotic-personからのレス:ken☆さん、北茨城市役所へ「善意の物資」輸送のblogも読ませていただきました。東海村は仕事で何度も何度もいった場所。JR東日本は3月26日現在として常磐線(土浦-勝田)は4月上旬に運転再開予定としていますが、東海村までは・・。
被災地のレポートありがとうございます。
北茨城や東海村に行ったのは自分のエゴ&私欲を満たす要素が80%位だったんで、尊敬には全く値しません。
被災直後から現地に赴いて献身的にボランティアに参加されてる方や、僕達以上に多くの物資を計画的に集め、より困ってる原発周辺まで食料を届けている方々もいるようですし。
「コツコツ募金」今後被災地が復興するためには絶対必要だと思うので、素晴らしいことだと思います。
●ken☆からのレス:コメントありがとうございます!励みになります。
放出した放射性物質が通常の10,000,000倍(メーター振り切れたのでそれ以上計測不能)との東電からの発表が今日あったので、事態は物凄く深刻ですね。
次回は、自分の生まれ故郷の「勝田」(現ひたちなか市)へ行く予定なので、ブログの方にはまた状況アップしようと思います。
●yosiko2からのレス:私も新潟の時はその日の夜に現地入りしました。
山留め工事をしてるので色んな被害現場の写真を撮影しようかと思ったのですが
あまりの悲惨さに35mm一眼レフを覗くことすら出来ませんでした。
でも今後災害を防ぐ事を考えるとちゃんと撮影することも大事なんだと後悔しました。
これから現地の復興は災害に強い町を作らなければなりません
みささんが撮影された写真はかならず参考になります
これからも頑張ってください。
参考に浦安液状化の写真を撮影してくれた(さ)さんのブログも見てください。
http://www.01step.net/diary/sfs4_diary.cgi?action=article&year=2011&month=03&day=14&mynum=1380
これまた浦安も凄い事になってますね・・・
以前仕事で江東区の埋め立て地辺りに行ったときに、地震があったら大変だよな、と心配したのを思い出しましたが、まさにそれが現実のものに。
関西は少々ものがない以外は、地震の影響を感じる事が全く無いのですが、こういうのを見るとなんだかもどかしい気持ちになりますね~
●ken☆からのレス:コメントありがとうございます。励みになります。
昨日、浦安市在住の友人から、未だにトイレは近くの公園で・・・ってメールが、信じられないような被害状況の写真と共に幾つか僕のところへも届いてます。
財源の潤沢な浦安市でさえ、ライフラインの復旧が終わってないので、同じ千葉でも今回の震災で甚大な被害(死者13名以上)があった旭市周辺の復旧は、僕が見てきた北茨城市と同じくらいに困難極まってる状況下だと思います。
とにかく一刻も早く、被災者の方々が普通の生活が出来る状態に戻って欲しいものですね。
●ken☆からのレス:仰っしゃる通り「埋立地」って千葉の一部だけじゃなく、都内でもかなり広いエリアが江戸時代から埋め立てで作られて来た歴史があるんで、もし今回震源地がこっちに近かったら・・・・・
現都知事がその事を憂うのは、大袈裟じゃないんだなと思ってしまいました。
阪神淡路震災時、僕ももどかしい気持ちでいっぱいでしたよ~